born with a silver spoonの成功者よりも”成り上がり”成功者をリスペクト

する感覚って、ないかい?

「SHINGO★西成 × 西成(大阪府)」──ドヤ街のリアルをストレートにうたい続ける遅咲きラッパー|ブックス & ミュージック & アート(本・書評)|GQ JAPAN
「BAD HOP × 川崎(神奈川県)」──京浜工業地帯が生んだ、元不良ヒップホップ・クルー|ブックス & ミュージック & アート(本・書評)|GQ JAPAN
「田我流 × 一宮(山梨県)」──山梨の盆地から、生きるとは何かを問いかける男|ブックス & ミュージック & アート(本・書評)|GQ JAPAN

とかの記事を読んで思った。「カッコいいな」って。
皆、音楽アーティストとして何かしら名を残してるという意味で、成功者だと思うんだけど。

育ちはほんと、金持ちとかじゃなくて、本当に下から積み上げてきた感ってのがある。
自分だけかもしれないが、そういう人って、尊敬できないか。

音楽アーティストとかお笑い芸人とか俳優とかにも、誰とは言わんけど、金持ち育ちで、有名になったりある程度成功してる人とか、いるよな。

金持ち育ちの成功者と、貧乏育ちの成功者、どっちかを賞賛するなら、やっぱ俺は後者にリスペクトの念が寄る。もちろん、俺の考えは少し短絡的なかもしれないし、金持ちの人々を侮るような、まるで卑屈なプロレタリアート、嫉妬心と絶望感でうな垂れている下層民のような臭気がプンプンする嫌な人だよな…。

と、そんな低次元の理由だけじゃあなんだから、フランスの知識人の言葉でも引用しようか。

自然があらゆるところに存在するとしても、
風景は、それを遠くから眺める都市生活者の眼にしか生まれえない。
なぜなら、その者は、日々そのすぐそばで仕事をしなくてよいからだ。
農民が風景を嘲るのは、その者が生活に窮し、腰を曲げ額に汗して働いているからである。
すでに十分な生活を保証された都市の住民だけが、
散歩や瞑想の楽しみにふけることができる。
(by レジス・ドブレ

これは現実社会の深い部分までにしっかり光が届いた、名言だといえないか?いわば都市生活者は、自然を“風景”として、そこに楽しみを見出すが、農民は自然を風景として認識する余裕はなく、生きる糧や汚れをもたらす“自然”だというこよ、自然に対する認識の差異。
もちろん現代社会は昔のフランスよりも移動手段が発達して手軽に都会にも田舎にもアクセスできるようになってるから、こういう認識も成り立ちにくい部分もあるかもしれんけど…。

とにかく本題に戻ると、ここにおいて都市生活者は「風景を観察する」という“芸術的実践”を行っている。そして芸術的実践を行える条件、それはブルジョアジーであること、すなわち、「一定の経済水準が必要」だということを、象徴的に意味している。

つまり自分が言いたいのは、音楽の英才教育だとか楽器を奏でられる経済的環境にあるということ、「音楽活動に勤しむことができる」ということ自体が”ブルジョアジーの特権”というとオーバーだけど、“ブルジョア的”なんじゃないかっていうことね。
それゆえ「育ち」と「成功者」の相関関係があるってことね。よく東大の合格者の家庭の年収を調べたら結構、平均よりも高い世帯が多いみたいなデータあるけど、それに近いことが音楽とか芸能の世界にももちろん当てはまると思う。

政治家の息子がまた政治家になるように、偉大な哲学者プラトンが名家の生まれのように、“成功者”という組織体を構成する一要因として“経済力”があるのは間違いない。

もちろん、例えば矢沢永吉所英男仮屋崎省吾のように、叩き上げの成功者もいるだろうし。肉体的、精神的、経済的ハンディキャップを背負いながらも偉大な人物に成り上がった人間は、いくらでもいる。

だけどやっぱ、相対的に「金持ちは成功者になりやすい」という事実は、あるよな…だからそういう人は、上から目線で物を言ったらダメだと思うんだ。

「感謝する」ということ、自分の運命や、育ちや、生まれ持った家庭内インフラが“前提”にあるからこそ成功できたということを「自覚」して、謙虚に振る舞う。
これが、金持ちとして生まれ成功した人が備えるべき品格、ノブレス・オブリージュだと、思うんだよな…なんてな。
何か、暗い話になっちまったんで、そろそろ寝るか(zzz)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0
    follow us in feedly

トップページ(低価格ヒルズ)に戻る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です