肌がつるつるになってハゲた髪も新しく生える!?養老の滝

ちょっと前に養老の滝に行ったらYo。
すげえことが書かれてた驚いたZe。

養老の滝は、「日本の滝百選」並びに環境庁の「名水百選」に選ばれている名瀑、名水です。また、水がお酒になった親孝行の「養老孝子伝説」など故事来歴のある優れた霊水です。

奈良時代、元正天皇は「万病を癒す薬の水」との報告を受けられ、美濃の国多度山の美泉に行幸されました。
史書「続日本記」に記述されている元正天皇のお言葉があります。
「自分で手や顔を洗ったら、皮膚はつるつると綺麗になり、痛むところも治った。また、この水を飲み、欲した人は、白髪も黒くなり、はげた髪も新しく生え、見えにくくなった目も明るくなった。目出度いことです。この水は、真に老を養う若返りの水です」
元正天皇は、「醴泉は、美泉なり。以て老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし」と詔なさって、西暦717年に年号を「養老」と改められました。

とな。
なんという素晴らしい滝だNaって、思ったね。
しかし水の透明度から考えると、ほんとにそうなんじゃないかって、思っちゃう。

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ぐらい、まだ綺麗だったZe。
この汚れきった21世紀において、まだ美しい場所が残されてたんだね〜。
よくわかんない石碑もあったNa。

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⑯田中大秀養老美泉弁碑

この碑は、飛騨高山の国学者、田中大秀翁由縁の養老美泉弁碑です。
文化十一年(一八一四)、大秀翁が養老美泉録を著し、これを機会に養老の美泉について尾張藩の儒臣、秦鼎と論争を交すところとなります。
文化十二年、養老美泉碑を建立しましたが、大秀翁死後、秦鼎氏の門人たちが養老美泉録の版木を焼却し、養老美泉碑をも打ち砕いてしまいました。
明治三十一年に大秀翁の流れを汲む高山の山崎弓雄等社中の人々が、大秀翁の為にこの碑の再建を図り、殆ど原形に近い養老美泉弁碑を再建し今日に到っています。
田中大秀翁は、安永六年(一七七七)高山市に生れました。後に本居宣長に師事し、宣長の学風を会得しました。

「なぜ養老の水が美しいか?」的なことで争ったのかな。
そんな小さなことで、他人の記念碑とか墓を壊すなんて、えらい気性が荒い話だZe。

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