【過去ログ】ノロウイルスで意識朦朧としていた時に書いた日記

学生の時に書いた恥ずかしい日記、が出てきたので紹介。
2007年1月5日、2006年の12月末の思い出を書いてる。
今よりエッジが利いてる、いいね。
また学生気分で筆を走らせたいな~。

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あけましておめでとう。
みなさん正月はどう過ごしましたか?
僕は時差を利用して東京、パリ、ロサンゼルスの「3ヶ所」で新年を迎えましたよ。
特にパリのがすごくって・・・ってそんなの君たち「愚民」「賎民」にはわからないよね?HaHaHa~(笑)
なんてな、実は正月はずっと寝込んでたのよ。
久しぶりの更新だがな、実は「病気」になってたんだ俺は。
今流行りの「ノロウイルス」というやつだ、俺はブームに敏感だから、肌で捉えちまうんだな、ネクスト・フューチャーというやつを。
今はだいぶ楽になったが、俺は去年何か悪いことをしたのだろうか?
わざわざクリスマス(12/25)に「ノロウイルスの可能性がある」などということを医者に宣告されたのは、何か「悪魔か何かの裁き」のような、霊的なものを感じた。
熱は一回だけ40度まで出たんだ、さすがにあの時は死ぬかと思ったぜ。
走馬灯のようなものもよぎった・・・
~回想~
「あの就職コンサルタントみたいなやつめ、俺を選ばなかった!」
(何か表情とか印象のいい人は後で呼ばれて、一日秘書だとか学生コミュニティだの、そういう社会活動的なものの斡旋を受けているらしいセミナーがあった。7人の中から3人ぐらい選ばれ、俺は呼ばれなかった。)
「確かに俺は目つきが悪いから第一印象は悪いが、人を見かけで判断するあんた、何様だ!あんたは!?」
~回想終わり~
などという怒りの感情が駆け巡って、さすがに体が40度までヒートアップすると、モラリストの俺の理性も崩壊しちまうんだ。
といっても、40度でも『PL』とかいう医者がいつも適当に処方してくれる風邪薬で38~39度ぐらいまで下がった、だがそこからだな、脱することができない。
38度台と39度台をいったりきたりするわけで、これがまた厳しい(悶)
このときは、マラソンをしてる気分だったな。
そして俺はわかった、人間が死に到る体温は「42度」ぐらいらしいが、それはマラソンの「42.195キロ」と全く同じだということを。
つまり体温が「42.195度」になると、人間は死ぬ。
そしてマラソンが36キロ地点ぐらいなのから地獄なのは、そこから「体温と比例するから」だぜ。
37キロ地点まで走ると、体温も37度になる。微熱だ。
38キロ地点・・・38度、高熱状態。
そんな状態でも走る、
39キロ地点・・・かなりの高熱、インフルエンザ並みだぜ。
大抵のやつらはな、ここで走るのをやめる。
だがな、本当のトップランナーはちがう。
40キロ地点・・・体温40度、抵抗力のない人間は死ぬ。
41キロ地点・・・体温41度、ランニングハイ、むしろ神経が麻痺し、苦痛を感じないのか!?
42キロ・・・を過ぎた、体温は42度、人間が死ぬ温度・・・
越えられるか?
否!
何人かは倒れて死ぬ。
だがな、ほんの一握り、「42キロ地点42度」という決死圏を越え、42.195キロまで進んだ・・・そう、そいつが「初のマラソン完走者」だぜ。
わかったか?

といっても俺自身、途中から何を言ってるのかよくわからなくなったが、とにかく昔の人間は「走る距離と体温が比例する」と思ってたのだ。(←はぁ?)
だからマラソンも「42.195キロ」っていう、人間が生きるか死ぬかギリギリの体温「42度」と同じにしたんだぜ。(思い込み)

そんなわけでだな、今日はそろそろ終わりだ、当分更新しねえぜ。
なんせ入院してたせいで、学校のレポートが溜まってるからな。こんなブログより、「保身」の方が断然大事よ
ほんとにな、去年はこのブログが災いして、神聖なクリスマスに災いが降ったと思われる。
マジ「罰が当たった」というか、ちょっと社会的に悪い内容を垂れ流しすぎた感がある(反省)
だから今年は品行方正、「人と接することが大事」「愛は地球を救う」といった「ベタだけど社会的に望まれる言説」を導入し、このブログを『美しく』変えたいと思う。
あるいは更新しない、俺は”大殺界”にいるかもしれないから。
と新年の抱負も述べたところで、そろそろ寝るかな。
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