「自分のことじゃないのに涙が出るのはどうしてだろう」「自分のことじゃないのにこんなにも嬉しいのはどうしてだろう」とかいうFacebookのCMの嘘臭さ

IPPONグランプリ観てたらFacebookのCMが流れててYo。

このCM、全く感情移入できない。
「友達やみんなが幸せになることが自分にとっても幸せ」的な、性善説を前提とした価値観で作られている感じが、リアリティを感じないし噓臭い。

本当にこのFacebookのCMに共感している人がいたら、俺は橘いずみの『失格』(どんなに打ちのめされても収録)を聴かせたいね。
そして問いたい。「あなたは本当に、人の幸せを自分の喜びのように感じられるのか?」と。

橘いずみが言うように「自分の為に泣いても人の為には泣けない」のが、本心じゃないのか?
いいね!をしているけど、「失恋した友達慰めどこかホッとしてる」んじゃないのかい?

いいね!をしているけど、「一番大切なものはこの貪欲な私」という自覚はあるか?
幸せな投稿やリア充な投稿に対して、逆に妬みが湧いて来てYo。
他人の不幸話を探して「ふしあわせな人を見て笑ったことはないかい?」

とかいってるやつは友達いないとか、利己主義者だとか、「失格!」とか言われたりするんだろうNa。
そう、俺は人間性が欠落している部分がある。
が、欠落しているのは俺だけじゃないと思うんDa。

Facebookの投稿を見て「くたばれリア充!」だとか思ったり、楽しそうな姿を妬んだりだとか思ったり。
逆に、不幸話を漁り「あいつよりマシだ」と、他人を比較・相対化し、優越感等に浸ったりしたり。
そういう弱い部分を人間は持っている。

にも関わらず、Facebookはそういう人間の闇の部分だとか、悪い部分には全く目を向けず「人は友達の幸せを自分のことのように喜ぶことが出来る」と、莫大な資金力でテレビCMを流し、勝手な理想主義を押し付けてくる。
間接的に「人の喜びをシェアして喜べない人は人にあらず」と、理想のライフスタイルと人格を押し付けてくる。

いや、確かにFacebookの価値観が世界中に染み渡り、人のために行動できるような人格者だらけになったら、争いや戦争も起きないかもしれない。
が、橘いずみの名曲も生まれないだろうし。
人間の醜さとか弱さがあるからこそ、人生が面白くなることだってあるはずYo。

だから既成事実のように語るのはやめてほしい。
大抵自分のことじゃないと涙が出ない人や、大抵自分のことじゃないと嬉しいと感じられない人は、人間失格なんですか?
そんなはずはないはずYo。
そんな弱い人達も受け入れてくれるようなCMにしてほしいね。
それでこそ、優しくて、包容力があって、人間的なSNSだと思いませんか!?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

トップページ(低価格ヒルズ)に戻る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です